— 日本の暮らしに息づく和装のことわざ・慣用句 —
日々の暮らしの中で磨かれてきた日本語には、実は“着物”に由来する言葉が驚くほど多く存在します。
袖や襟、帯、反物──。
和装が生活の中心にあった頃、人々は着物にまつわる所作や素材の感覚を、人生の教訓や心構えとして言葉に託してきました。
着付けを学ばれている方の中には、「そういう意味だったのか」と新しい発見をされる方もいらっしゃるかもしれません。
ここでは、そんな“和装ゆかりの言葉”をまとめてご紹介します。
躾(しつけ)をする
着物を仕立てた際に形を整えるための“仕付け糸(しつけいと)”が語源とされています。
崩れないよう仮に形を整える――その働きから転じて、「人の心や行動を美しい形に整える」=“躾”に。
和裁文化が生活の根っこにあった日本ならではの言葉です。
袖を通す
本来は「着物の袖に腕を入れる」所作のこと。
そこから、新しい環境に入る・初めて参加するという比喩へ発展しました。
着物をまとい、外の社会へ一歩踏み出していく姿が思い浮かぶ表現です。

袖振り合うも多生の縁
昔の着物の袖は大きく、すれ違うだけで触れ合うことも。
そんな小さな接触にも“ご縁”を見いだす、日本らしい細やかな感性が込められた言葉です。
袂(たもと)を分かつ
着物の袂は“心情や立場を共有する象徴”とされました。
そこから、互いに別の道を行く・関係を断つという意味で使われるようになった表現です。
“同じ袂を並べて歩く=親しい仲” という考え方の裏返しとも言えます。
裾を濁す
裾の乱れは着物姿全体の乱れにつながります。
そこから、「去りぎわの態度が良くない」という比喩表現として使われてきました。
対になるのが「立つ鳥跡を濁さず」。美しい身のこなしを重んじる日本らしさが感じられます。
襟を正す
襟は衣服の要。着物の襟が乱れることは礼を欠くこととされ、身だしなみを整える=心を正す、という意味が生まれました。
現代でも自然と使われ続ける、息の長い表現です。
帯に短し襷に長し
帯には短く、襷にするには長い――。
どちらにも役に立たない中途半端さを示す慣用句。
反物や布と向き合ってきた日本人ならではの実感が言葉に息づいています。
錦(にしき)を飾る
錦は豪華で高価な織物。
故郷に“立派になって帰る”ことを「錦を飾る」と言うのは、
晴れの場にふさわしい華やかな衣装をまとうイメージに由来します。
衣装が名誉の象徴だった時代の名残が感じられます。

ボロは着てても心は錦
着物の時代、布の質は生活レベルを映す分かりやすい指標でした。
だからこそ、外見の衣服が質素でも“心の豊かさこそ大切”という価値観が、この言葉に込められたのでしょう。
ない袖は振れぬ
袖を振ることは、意思表示や返事のしるし。
しかし「袖がなければ振ることもできない」=持っていないものは出せないという教訓に発展しました。
昔の所作が今もそのまま言葉として生きています。
身の丈に合わない
体の寸法に合わない着物は動きづらく、着姿も崩れがち。
そこから、分不相応・実力以上のことを無理にしてしまうさまを表す比喩として使われるようになりました。
着物の「寸法」の大切さが、人生の教えとして重ねられた言葉です。
はた迷惑(はためいわく)

「はた」は「傍(はた)=周囲・他人」を意味する言葉で、本来は“自分の行為が、意図せず周囲の人に及ぼしてしまう迷惑”を指します。
織物の産地では、機織りの音は日常の風景であり、必ずしも「うるさいもの」ではありませんでした。
一方で、織物の産地・西陣などでは「機を織っている最中に邪魔が入ること」そのものを指して「はた迷惑」と表現する言い回しもあり、仕事に集中する場を乱される困りごとを表す言葉として使われてきたとされています。
着物づくりが暮らしの中に溶け込んでいたからこそ生まれた、生活感覚のにじむ言葉です。
おわりに
言葉の奥に、いつも着物がある
普段当たり前に使っている日本語の中に、こうして着物由来の表現が数多く息づいています。
その語源を知ると、着物の所作や寸法、布に込められた昔の人の美意識がより身近に感じられるかもしれません。
着物を学ぶ時間は、ただの“着方のレッスン”ではありません。
日本語のルーツや美意識に触れる、豊かな時間でもあります。
これからの装いの中に、こうした“言葉の知恵” も、そっと重ねてみてはいかがでしょうか。
執筆:日本和装オンライン運営